2011年2月5日土曜日

空気銃で野鳥を撃った(続き)。死んだ目白のぬくもり、小さな命が手の中で消えた。

ヒヨドリやもずを打ってもなかなか致命傷を与えることができず、かすめても羽が飛び散ることが多く、だんだん興味を失いっていた。また、ヒヨドリを撃ち落としたことがあるが、飛んでいるときと違って死んだヒヨドリはみすぼらしく感じた。また、面白半分に目白を撃ち落としたが、拾い上げたとき、手に今まで生きていた目白のぬくもりを感じた。「なんて俺は、つまらないことをしているのか?こんな可愛い小鳥を殺して何を得たか?」と思ったらむなしかった。
さて、1992年に日本人留学生がハローウィンパーティの会場を間違えて、白人の家の庭に入って撃ち殺された。また、撃ち殺した白人は裁判(陪審制度)で無罪になった。原子爆弾を落とした行為も憤りを感じるが、この事件・裁判に対しても、激しく怒ったものだ。根っこには人種差別を感じるし、日本の政府や報道陣に対して嫌な気持が残った。普通の日本人である僕は空気銃で小鳥を撃ち殺しても自分がおごっているのではと思ったが、日本人を撃ち殺した白人の残虐性、無罪判決をした陪審員・アメリカ人の人間性などは我々日本人には考えられない。日本人の素晴らしさは「一寸の虫にも五分の魂」という観念、理念、思考・・・がある。だからと言って臆病・卑怯でなく、切腹や神風特攻隊(命を懸けて家族・国家を守る)という潔い血も受け継がれていると思う。