2013年1月1日火曜日

親友、兄弟以上の関係かも知れない。彼に出会わなかったら、違った人生を歩いていたと思う。

親友から電話があった。彼が「年賀状を書いていたら電話をしたくなった」と言ったが、電話をもらって本当にうれしかった。夢中で話し込み、風呂の水が溢れていることを1時間ぐらい忘れてしまっていた。来月の水道代が心配だ。
先日、記述した「我が故郷、九州の大雨災害が心配だ、日田市の花月川、中津市、耶馬溪」で親友について触れたが、お互いの人生に大きな影響を与え合った。
彼の家は大地主で父親は県会議員という恵まれた家庭の長男である。また、背も高くスマートで、東京の有名な私立大学を卒業し、中央官庁に勤めた。しかし、家を継ぐために、地元の県庁に天下りしていった。それに比べて、貧乏な家に育った僕は、背も低く醜男ではないが、パッとしない容姿だった。
そんな二人が中学一年生で同じクラスになったのがきっかけで生涯の親友になった。中学・高校時代、1年の半分以上を親友の家で寝泊まりして、家族以上の待遇を受けていた。彼の家は、大家族で、祖母、両親、弟が3人、女中さんが1人、下男(オトコシ)が1人、下宿人(先生)が1人、彼、僕の11人が暮らしていた。その上、親戚の人が数名泊まりに来ることも多く、夜は近所の人が彼の父親(県会議員)を訪ねて来ていた。
親友とは川遊び、山登り、キャンプ、お祭り、映画鑑賞などを楽しんだが、貧乏な僕の金の負担を親友がしてくれた。また、高校生になり親友がスクーターの免許を取ると、僕を後ろ座席に乗せて、九州の北東(大分、熊本、福岡)などを旅行した。東京の大学生活も同じで、キャバレー、音楽喫茶、ストリップ劇場などへ行ったが、支払いは彼が負担してくれた。
というわけで、僕のような貧乏人ではできないことを経験させてもらった。しかし、そのことを僕が負担に感じたこともなく、彼は「一緒に行ってくれるか?」と僕に頼むように誘ってくれた。




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